とはどんな人?日本初の契約によるビル管理業を立ち上げた経営
| 読み | あさじ しょうたろう |
|---|---|
| 生年月日 | 1905年3月16日 |
| 国籍 | 日本 |
浅地 庄太郎(あさじ しょうたろう、1905年〈明治38年〉3月16日 - 1983年〈昭和58年〉8月8日)は、日本の実業家。日本不動産管理を設立し、日本初の契約によるビル管理業を生み出した。
1951年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効でGHQは活動を終了したが、アメリカ大使館の総合的な管理業務は残っていた。米国国務省はこの業務を日本の業者を対象に競争入札とした。当時、国内には他人のビルを総合管理するという概念はなく、専門の会社もなかったが、三菱地所の社長・渡辺武次郎は、浅地が一切の業務を引き受けることを条件にこれに応じた。
浅地はビル管理業の請負会社として日本不動産管理株式会社を設立し、応札した。競争入札で落札したことにより、日本で初めてとなる、契約によるビル管理業がスタートした。業務はビル設備管理、警備防災管理、清掃管理のほか、エレベーターの保守・運行、電話交換機のオペレーション、ボイラーや電気設備の配線配管工事、トイレ関連の保全・補修、庭園管理、家具類の手入れ、フロント業務、物品供給など多岐にわたった。
経営の型:受け皿となる会社がない仕事は、自ら会社を作って一切を引き受けることで市場そのものを立ち上げる。
浅地はビル管理業を一つの業界として確立、発展させたいと考え、同業者で鈴木貞一郎が代表を務めるビル代行をはじめ、白青社、東京不動産管理、日本不動産管理の4社で「四社会」という集まりを持った。これを元に1961年7月「東京ビルメンテナンス懇話会」が発足し、翌1962年5月には「東京ビルメンテナンス協会」へと発展、浅地は初代会長に就任して全国組織を作るために動き出した。
東京ビルメンテナンス協会は1964年の東京オリンピック選手村の清掃管理を担当した。1966年には「全国ビルメンテナンス協会」が発足し、浅地が会長に就任、同協会は1970年に大阪で開催された日本万国博覧会の管理も担当した。
経営の型:自社の事業を広げるだけでなく、同業を束ねて業界の枠組みを先に作り、そこに公共の大型事業を引き受ける体制を築く。
| 1905年3月16日 | 生まれる(石川県金沢市瓢箪町) |
|---|---|
| 1923年 | 金沢商業学校を卒業後、東京銀座の菊屋に就職 |
| 1932年 | 菊屋が資本参加した新会社・合同食品の取締役として出向 |
| 1938年 | 日本栄養食の設立に参加、代表取締役に就任 |
| 1945年8月 | 連合軍受入設営委員会のメンバーとなる(進駐軍宿舎の受入設営を担当) |
| 1951年 | 日本不動産管理株式会社を設立、契約によるビル管理業を開始 |
| 1957年 | 日本ビルサービスを設立、社長に就任 |
| 1962年5月 | 「東京ビルメンテナンス協会」発足、初代会長に就任 |
| 1964年 | 東京ビルメンテナンス協会が東京オリンピック選手村の清掃管理を担当 |
| 1966年 | 「全国ビルメンテナンス協会」発足、会長に就任 |
| 1975年3月 | 長男・正一に日本ビルサービスなどの代表を譲り、会長に就任 |
| 1983年8月8日 | 死去(78歳没) |
甲木 — 大木のような存在。まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質。向上心が強く、曲がったことが嫌い。
| 年柱 | 月柱 | 日柱 | |
|---|---|---|---|
| 天干 | 乙 | 己 | 甲 |
| 地支 | 巳 | 卯 | 寅 |
| 通変星 | 劫財 | 正財 | (日主) |
| 十二運 | 病 | 帝旺 | 建禄 |
堅実で計画的。コツコツ財を成す。誠実な人柄。
ここから先は四柱推命による解釈です。史実ではなく、命式の読み方の一例として書いています。
浅地庄太郎の日主は甲木(きのえ)。大木のような存在で、まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質とされる。向上心が強く、曲がったことを嫌う型である。身強で、自分の力を前に出して伸びていくタイプと読める。
年柱の通変星は劫財。競争心が旺盛で社交的、仲間と共に成長する星とされる。菊屋渋谷店・軽井沢店の店長を任され、日本栄養食では業績を北陸から中部、関西、中国地方へと広げた歩みは、この星の性質と重なる読み方ができる。もちろん命式が事業の内容を決めたわけではないが、命式を先に見た人間なら、この人が競争の場で頭角を現すのは腑に落ちる、という解釈になる。
月柱の通変星は正財。堅実で計画的、コツコツ財を成す誠実な人柄を示す星とされる。前例のないアメリカ大使館の管理業務を一切引き受け、日本不動産管理を設立して契約によるビル管理業を軌道に乗せ、日本ビルサービス、さらに業界団体の設立へと積み上げていった経過は、この星が示す堅実さに沿う読み方ができる。
日主が身強であることは、四社会からビルメンテナンス協会、全国組織へと自ら動いて業界の枠組みを作っていった姿勢とも噛み合う型である。
浅地 庄太郎(あさじ しょうたろう、1905年〈明治38年〉3月16日 - 1983年〈昭和58年〉8月8日)は、日本の実業家。日本不動産管理を設立し、日本初の契約によるビル管理業を生み出した。
生年月日は1905年3月16日です。
日主は甲・木・陽です。甲木 — 大木のような存在。まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質。向上心が強く、曲がったことが嫌い。
誕生日は3月16日です。同じ誕生日の運勢は /birthday/03-16 で確認できます。
1951年、アメリカ大使館の総合的な管理業務の競争入札に応じるため浅地庄太郎が設立したビル管理業の請負会社です。この落札により、日本で初めて契約によるビル管理業が始まりました。1957年には業務と人員を引き継ぐ形で日本ビルサービスが設立されています。
1961年に発足した東京ビルメンテナンス懇話会を元に、1962年の東京ビルメンテナンス協会、1966年の全国ビルメンテナンス協会の設立に関わり、それぞれ初代会長・会長に就任しました。全国ビルメンテナンス協会は1970年の日本万国博覧会の管理も担当しています。
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