とはどんな人?発明特許品の販売から自社発明の製造へと進んだ経営
| 読み | いとう きじゅうろう |
|---|---|
| 生年月日 | 1855年5月2日 |
| 職業 | 経営者 |
| 国籍 | 日本 |
伊藤 喜十郎(いとう きじゅうろう、1855年5月2日(安政2年3月16日) - 1936年(昭和11年)2月1日)は、日本の実業家。伊藤喜商店(現:株式会社イトーキ)の創業者。
1890年3月に開催された第三回内国勧業博覧会を見学した喜十郎は、発明特許品を世間に知らせ普及を図る仕事を思いつき、同年12月1日に発明特許品販売の伊藤喜商店を創業した。店舗1階部分の屋根には、日本資本主義の生みの親である渋沢栄一が喜十郎の船出を祝して揮毫した看板が掲げられた。創業当初は、東京竹内製金庫や堀井謄写版を含め、当時としては大変新しい品物の販売だった。
創業から10年が経過する間に日本経済は大きく移り変わり、伊藤喜商店は発明特許品に限らず大阪で珍しいと思われる商品の販売も始め、「新しい事務用品なら伊藤喜」との評価を確立して西日本一帯に「平野町のハイカラ屋」として名を知られる存在になった。取扱商品のうち、明治30年代から大正期にかけて一世を風靡した事務用品には、番号印(ナンバリングマシン)、ゼムクリップ、ホチキス紙綴器がある。今では一般化した「ゼムクリップ」および「ホチキス」という呼称は、アメリカのメーカー名をとった伊藤喜商店の登録商標である。
経営の型:新しい分野の商品にいち早く着目し、品揃えを広げて地域一番の評価を築く。
喜十郎は時流に即した商品を取り扱うことに力を注ぎつつも、発明家を援助して製造を促進すること(今でいうベンチャーキャピタルのようなこと)にも早くから積極的だった。単なる販売から製造して販売する方向への事業拡大は、発明家との共同経営あるいは発明家からの権利譲り受けという形から更に一歩進んで、自ら発明をなし、特許を取得して製造販売する構想へと発展した。
1908年3月、伊藤喜商店工作部が新設され、文具、安全かみそり、手提げ金庫と3種のオリジナル商品が発案された。さらに1913年に日本初の金銭登録機(キャッシュレジスター)「ゼニアイキ」(銭勘定が合う機械という意)のデビューへと続いた。大阪・京都を皮切りに「ゼニアイキ」の販売先は全国へと広がり、発売後50年を経た昭和30年代の末にもまだ愛用されていた例があるくらいのロングセラー商品だった。
経営の型:販売で得た知見と人脈を製造に転用し、自社発明の商品で事業の主導権を握る。
| 1855年5月2日 | 大阪の船場、両替商小野十右衛門の六男として出生(安政2年3月16日) |
|---|---|
| 1880年4月 | 同じ両替商を営む伊藤善兵衛の長女モト子と縁組みし婿養子となり伊藤姓となる |
| 1890年12月1日 | 発明特許品販売の伊藤喜商店を創業 |
| 1908年3月 | 伊藤喜商店工作部を新設し、文具・安全かみそり・手提げ金庫を発案 |
| 1913年 | 日本初の金銭登録機「ゼニアイキ」がデビュー |
| 1933年12月26日 | 伊藤喜商店が株式会社に改組し、取締役社長に就任 |
| 1936年2月1日 | 死去(享年82・満80歳没) |
己土 — 田園の土のような存在。温和で受容力が高く、万物を育む。几帳面で気配り上手。
| 年柱 | 月柱 | 日柱 | |
|---|---|---|---|
| 天干 | 乙 | 辛 | 己 |
| 地支 | 卯 | 巳 | 卯 |
| 通変星 | 偏官 | 食神 | (日主) |
| 十二運 | 病 | 帝旺 | 病 |
おおらかで楽天的。食と芸術に縁がある。福の星。
ここから先は四柱推命による解釈です。史実ではなく、命式の読み方の一例として書いています。
伊藤喜十郎の日主は己土(つちのと)。田園の土にたとえられる干で、温和で受容力が高く万物を育むとされる。几帳面で気配り上手な性質を持ち、身弱であるため、周囲の力を取り込みながら伸びていく型である。
年柱の通変星は偏官。行動力と決断力を示し、既存の枠を壊して変革をもたらす星とされる。伊藤喜商店が単なる販売にとどまらず、自ら発明をなし特許を取得して製造販売する構想へ踏み出した歩みは、この偏官の型に沿って読むことができる。
月柱の通変星は食神。おおらかで楽天的、食や芸術に縁があるとされる福の星である。文具や安全かみそり、手提げ金庫、そして日本初の金銭登録機「ゼニアイキ」といった、暮らしや仕事の道具をひとつずつ増やしていった歩みは、この食神の性質と重ねて読める部分がある。もちろん本人が命式を見て事業を選んだわけではなく、命式を先に見た人間がこう読める、という解釈にすぎない。
田園の土は、種を蒔かれるのを待つだけの土ではなく、手を加えれば作物を育てる土でもある。渋沢栄一から船出を祝う看板を贈られ、発明家や取引先の力を受け入れながら事業を広げていった喜十郎の歩みは、身弱の己土が周囲の助けを受けて育つ型と読み合わせることができる。
伊藤 喜十郎(いとう きじゅうろう、1855年5月2日(安政2年3月16日) - 1936年(昭和11年)2月1日)は、日本の実業家。伊藤喜商店(現:株式会社イトーキ)の創業者。
生年月日は1855年5月2日です。
日主は己・土・陰です。己土 — 田園の土のような存在。温和で受容力が高く、万物を育む。几帳面で気配り上手。
誕生日は5月2日です。同じ誕生日の運勢は /birthday/05-02 で確認できます。
伊藤喜十郎は1890年12月1日、発明特許品販売の伊藤喜商店を創業しました。現在の株式会社イトーキの前身です。創業当初は東京竹内製金庫や堀井謄写版など、当時としては大変新しい品物を扱いました。
はい。明治30年代から大正期にかけて伊藤喜商店が取り扱ったホチキス紙綴器について、アメリカのメーカー名をとった「ホチキス」という呼称は伊藤喜商店の登録商標でした。同様に「ゼムクリップ」という呼称も伊藤喜商店の登録商標です。
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