とはどんな人?「店は客のためにある」を貫いた八百屋の経営
| 読み | やおはん |
|---|---|
| 生年月日 | 1906年12月6日 |
| 国籍 | 日本 |
和田 カツ(わだ カツ、1906年〈明治39年〉12月6日 - 1993年〈平成5年〉4月28日)は、日本の実業家。国際流通グループのヤオハンの創業者。
1930年12月、和田カツは熱海市銀座の旅館に店舗を借り、「八百半熱海支店」を開店した。これが八百半創業元年である。当時の熱海には町一番の八百屋がすでにあり、カツはその店に追いつき、追い越すことを目標とした。その大店はトラック1台分の野菜を収納できる冷蔵庫を備えていたが、八百半にあったのは家庭用の氷式冷蔵箱のみで、収納しきれない野菜は夏場、日を置くと鮮度が落ちることが悩みだった。
そこでカツは夜間も野菜を店に並べたままにし、室内で蒸れないよう戸を開け放って、夫と交代で団扇を片手に寝ずの番をした。平均睡眠4時間の生活が十数年続いた。夜露にあたることで野菜の新鮮さはかえって増し、映画館やダンスホール帰りで午前2時、3時になる客も店に寄れるようになった。芸妓を連れた男性が見栄を張って高級な品をまとめ買いするといった副次的な効果もあった。
経営の型:設備で劣る差を、人が時間をかけて埋める。
1956年、商業界主催のゼミナールに夫の代理で出席したカツは、「店は客のためにある」という言葉に強く心を動かされた。それまでの懸命な働きも、自分たちの生活や子供の学費、店の拡張のためという自分たちの利益が目的だったことに気づき、衝撃を受けた。ゼミの場で福島のスーパー「ベニマル」の人物と話し、現金正札販売という方法を知ったカツは、これまでの掛け売りから現金正札販売への転換を家族に進言した。家族は当初、従来の方法と全く異なる商法への転換に賛成しなかったが、ゼミ受講やベニマル見学を経て賛成した。
1956年、八百半は現金正札販売のデパートとして再出発した。客からは「こんなに安く買えて、どんなに助かるかわからない」「本当にありがとう」といった礼の言葉が寄せられ、「店員は優しくて親切」との声もあった。カツにとって、商品の質や値段を褒められること以上に、店員全員の心が一つになって初めて生まれる親切を褒められたことが大きな喜びとなった。
この理念は従業員への向き合い方にも及んだ。1950年代末からカツは新入社員の精神教育を専任で担い、1964年には従業員寮を含む社屋を新設して、自ら考えた栄養バランスに富んだ食事を提供した。退職した女子社員の再雇用や、出産後に給与を得ながら休める育児休業、育児時間に合わせた育児短縮勤務も、業界に先駆けて導入した。
経営の型:客のためという理念を先に定め、値付けの方法も社員への待遇も、その理念に合わせて作り直す。
ヤオハンは1971年よりブラジルに進出していたが、1970年代末のインフレの影響でブラジル店は壊滅的な打撃を受けた。長男の一夫をはじめとする役員たちはブラジル撤退で意見が一致したが、カツは「社員や家族を見殺しにはできない」と、ただ1人反対を唱えた。1977年、ブラジル店は会社清算に追い込まれ、結局撤退を強いられた。現地での事業清算にあたり役員らが債権者の自宅を回ると、72歳のカツもそれに加わった。
債権者の数は1300件に及び、高齢のカツがそれだけの数を回ることを周囲は咎めたが、カツは難航している先には自分が行くと言ってきかなかった。中でも特に重要な債権者の1人はカツとの面会を頑として拒んだ。カツは相手の自宅前の土の上に正座して面会を願い、雨の降りしきる中、泥だらけになりながら正座を3日間続けた。ついに債権者は折れて面会に応じ、清算への協力を得て、会社清算にこぎ着けた。
経営の型:始めた事業をたたむときも、人との関係を壊さずに終わらせる。
| 1906年12月6日 | 神奈川県小田原市の八百屋「八百半」の長女として誕生 |
|---|---|
| 1930年12月 | 熱海市銀座の旅館に「八百半熱海支店」を開店(八百半創業元年) |
| 1950年4月13日 | 熱海大火で八百半商店が全焼 |
| 1956年 | 商業界のゼミナールで商人道を学び、現金正札販売のデパートとして再出発 |
| 1964年 | 従業員寮を含む社屋を新設 |
| 1971年 | ヤオハン、ブラジルに進出 |
| 1973年 | 三島店でテナント店のレストランから赤痢菌が検出されて営業停止処分となるが、保健所の許可を得て再開 |
| 1974年 | ヤオハンのシンガポール1号店が開店 |
| 1977年 | ブラジル店が会社清算に追い込まれ、撤退 |
| 1988年 | ニューヨーク店の開店に車椅子姿で駆けつける |
| 1990年 | ヤオハンの本部が香港に移転(長男一夫が家族と共に香港へ移住) |
| 1993年4月28日 | 神奈川県湯河原町の病院で、心筋梗塞により死去(満86歳) |
| 1997年 | ヤオハンが倒産(カツの死後) |
甲木 — 大木のような存在。まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質。向上心が強く、曲がったことが嫌い。
| 年柱 | 月柱 | 日柱 | |
|---|---|---|---|
| 天干 | 丙 | 庚 | 甲 |
| 地支 | 午 | 子 | 申 |
| 通変星 | 食神 | 偏官 | (日主) |
| 十二運 | 死 | 沐浴 | 絶 |
行動力と決断力。既存の枠を壊し変革をもたらす。
ここから先は四柱推命による解釈です。史実ではなく、命式の読み方の一例として書いています。
和田カツの日主は甲木(陽の木)。大木のような存在で、まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質とされ、向上心が強く曲がったことを嫌う型である。日主が身弱であることは、自分ひとりの力を押し通すよりも、周囲の助けを得ながら伸びる型と読める。
年柱の通変星は食神。おおらかで楽天的、福の星とされる星である。商業界のゼミナールで「店は客のためにある」という言葉に感銘を受け、掛け売りから現金正札販売へと商いのやり方を大きく変えた判断には、既存のやり方にとらわれない食神らしい柔らかさが重なる読み方ができる。
月柱の通変星は偏官。行動力と決断力を持ち、既存の枠を壊し変革をもたらすとされる星である。ブラジル店の清算にあたり、72歳のカツが1300件の債権者を自ら回り、面会を拒む相手の前で雨の中3日間正座を続けたという行動には、自ら動いて壁を崩す偏官の型が重なる読み方もできる。ただし、これらはあくまで命式からの解釈であり、史実そのものを説明するものではない。
和田 カツ(わだ カツ、1906年〈明治39年〉12月6日 - 1993年〈平成5年〉4月28日)は、日本の実業家。国際流通グループのヤオハンの創業者。
生年月日は1906年12月6日です。
日主は甲・木・陽です。甲木 — 大木のような存在。まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質。向上心が強く、曲がったことが嫌い。
誕生日は12月6日です。同じ誕生日の運勢は /birthday/12-06 で確認できます。
1930年(昭和5年)12月、熱海市銀座の旅館に店舗を借りて「八百半熱海支店」を開店しました。これが八百半創業元年とされます。当初は旅館の軒先を借りた露店で、天秤棒を担いでの行商からのスタートでした。
1956年、商業界主催のゼミナールに夫の代理で出席したカツが、「店は客のためにある」という言葉に感銘を受けたことがきっかけです。福島のスーパー「ベニマル」の現金正札販売を知り、家族に掛け売りからの転換を進言し、同年、八百半は現金正札販売のデパートとして再出発しました。
1971年に進出したブラジル店は、1970年代末のインフレの影響で壊滅的な打撃を受け、1977年に会社清算に追い込まれて撤退しました。清算にあたり、カツは72歳で1300件に及ぶ債権者を自ら回りました。
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