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下中弥三郎

とはどんな人?実用書1冊のために平凡社を興し事典出版へ

生年月日: 1878年6月12日 明治

下中弥三郎の基本情報

読みしもなかやさぶろう
生年月日1878年6月12日

下中弥三郎とはどんな人?何をした人?

下中 弥三郎(しもなか やさぶろう、1878年6月12日 - 1961年2月21日)は、平凡社の創業者、教員組合の創始者、また労働運動や農民運動の指導者。下中芳岳ともいう。

下中弥三郎の経営判断

実用書1冊のために平凡社を創業

下中は1902年に上京し、小栗栖香平とともに『児童新聞』を創刊した。のちに『婦女新聞』の記者も兼ね、編集の実務を重ねている。1911年からは埼玉県師範学校の嘱託教師も務めた。

1914年4月、下中は『ポケット顧問 や、此は便利だ』を発売するために平凡社を創業した。実用書1冊を世に出すために興した出版社が、後の平凡社の出発点となった。

経営の型:編集の実務経験を積んでから、それを足がかりに独立して出版社を興す。

『大百科事典』で事典出版社になった

1931年から1935年にかけて、平凡社は『大百科事典』全26巻に『補遺』1巻、『索引』1巻を加えて刊行した。刊行にあたったのは、平凡社を創業してから17年後の下中である。この刊行によって、平凡社は一躍「事典」出版社として著名になった。

同じ1935年には『百科事典の知識』も平凡社から刊行されている。平凡社はその後も、1955年から1959年にかけて『世界大百科事典』を刊行するなど、事典の分野で出版を続けた。

経営の型:実用書の出版から始めた会社を、大部の事典の刊行で新しい柱に育てる。

公職追放を経て社長に復帰した

下中は1940年に大政翼賛会の発足に協力し、大日本興亜同盟の役員を務めた。敗戦後は公職追放となる。

1951年、追放解除とともに下中は再び平凡社社長に復帰した。1955年から1959年にかけて『世界大百科事典』を刊行し、1959年にはこの事典で第13回毎日出版文化賞特別賞を受賞した。1957年には日本書籍出版協会の初代会長にも就いている。

経営の型:地位を失っても、業界に戻れる場ができたら同じ事業を再び続ける。

下中弥三郎の略年譜

1878年6月12日兵庫県多紀郡今田村(現・丹波篠山市)に生まれる
1898年神戸市雲中小学校の代用教員となる。小学校準教員検定試験に合格
1902年上京し、小栗栖香平と『児童新聞』を創刊
1911年埼玉県師範学校の嘱託教師となる(1918年まで)
1914年4月『ポケット顧問 や、此は便利だ』を発売するため平凡社を創業
1919年8月啓明会を結成(翌年、日本教員組合啓明会に改称)
1923年野口援太郎らと「教育の世紀社」を結成
1925年石川三四郎らと農民自治会を結成
1931年-1935年『大百科事典』26巻・補遺1巻・索引1巻を刊行
1940年大政翼賛会の発足に協力。敗戦後、公職追放となる
1951年追放解除とともに平凡社社長に復帰
1955年-1959年『世界大百科事典』を刊行
1957年日本書籍出版協会初代会長に就任
1959年『世界大百科事典』により第13回毎日出版文化賞特別賞を受賞
1961年2月21日死去(82歳)

下中弥三郎の性格を四柱推命で読む(命式)

日主辛(金・陰) - 身強

辛金 — 宝石のような存在。繊細で美意識が高い。感受性が鋭く、完璧を追求する。

年柱月柱日柱
天干戊戊辛
地支寅午酉
通変星印綬印綬(日主)
十二運胎病建禄
月柱通変星印綬(学問・慈愛)

学問を好み、思慮深い。慈愛に満ちた人格者。

五行バランス

木
8%
火
17%
土
50%
金
25%
水
0%

命式から読む下中弥三郎の経営判断

ここから先は四柱推命による解釈です。史実ではなく、命式の読み方の一例として書いています。

下中弥三郎の日主は辛金(かのと)。宝石にたとえられる干で、繊細で美意識が高く、感受性が鋭く、完璧を追求する性質を持つとされる。身強で、自らの力で道を切り開く型である。

年柱・月柱の通変星はともに印綬で、学問を好み、思慮深く、慈愛に満ちた人格者を示す星とされる。下中は教員として出発し、1914年に平凡社を創業した。1931年から1935年には『大百科事典』を、1955年から1959年には『世界大百科事典』を刊行している。事典という学問の集成を世に送り出し続けた歩みは、印綬が重なる命式の読み方と重なる、という見方ができる。

辛金の、細部まで美しく整えることを追求する性質は、26巻という規模の大部な事典をまとめ上げた仕事ぶりに重ねて読むこともできるだろう。もちろん命式を見て事典を作ったわけではないが、命式を先に見た人間なら、この人が学問を集成する事業に向かうのは腑に落ちる、という読み方になる。

五行のバランスを見ると、土が50パーセントを占めて印綬(学問)を支える基盤の厚さを示し、金は25パーセントで日主そのものの強さを表す。木は8パーセント、水は0パーセントと少なく、火は17パーセントである。水の少なさは、身強の型とあわせて、自ら道を切り開く性質を裏づける読み方といえる。

下中弥三郎に関するよくある質問

下中弥三郎は何をした人?

下中 弥三郎(しもなか やさぶろう、1878年6月12日 - 1961年2月21日)は、平凡社の創業者、教員組合の創始者、また労働運動や農民運動の指導者。下中芳岳ともいう。

下中弥三郎の生年月日・命日は?

生年月日は1878年6月12日です。

下中弥三郎の性格は?(四柱推命)

日主は辛・金・陰です。辛金 — 宝石のような存在。繊細で美意識が高い。感受性が鋭く、完璧を追求する。

下中弥三郎の誕生日は何月何日?

誕生日は6月12日です。同じ誕生日の運勢は /birthday/06-12 で確認できます。

下中弥三郎が創業した会社は?

平凡社です。1914年4月、『ポケット顧問 や、此は便利だ』を発売するために創業しました。1931年から1935年には『大百科事典』を刊行し、事典出版社として著名になりました。

下中弥三郎の『大百科事典』とは?

平凡社が1931年から1935年にかけて刊行した事典です。本編26巻に『補遺』1巻と『索引』1巻を加えて刊行されました。この刊行により、平凡社は一躍「事典」出版社として著名になりました。

下中弥三郎の『世界大百科事典』とは?

平凡社が1955年から1959年にかけて刊行した事典です。1959年には、この事典により第13回毎日出版文化賞特別賞を受賞しました。

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