とはどんな人?裏帳簿の発覚を機に持ち株を社員へ分けた経営
| 読み | おにつか きはちろう |
|---|---|
| 生年月日 | 1918年5月29日 |
| 国籍 | 日本 |
鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5月29日 - 2007年〈平成19年〉9月29日)は、日本の実業家で、アシックスの前身のひとつである鬼塚商会の創業者、アシックス社長。
勤めていた商事会社はヤミ屋のようなものであったため愛想を尽かし、3年後に辞職した。次にどのような仕事をするか思案していたところ、兵庫県教育委員会の保健体育課長であった堀公平から「青少年がスポーツに打ち込めるようないい靴を作ってほしい」との助言を受けた。堀からは「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」ということばを知っているかとも言われたという。
堀の力添えで兵庫県下の小中学校や警察にズック靴や警ら用靴を納める配給問屋の資格を得て、1949年3月に個人事業の「鬼塚商会」を始めた。スポーツ用シューズの製造技術は素人であったため、仕入れ先に見習いとして雇ってもらい特訓を受けたという。同年9月には資本金30万円、社員4人で「鬼塚株式会社」を設立し、社長に就任した。
経営の型:専門家の助言を受け止め、仕入れ先での見習いという遠回りを経て未知の業種に入る型。
兵庫県バスケットボール協会理事長で神戸高校バスケットボール部監督の松本幸雄に相談し、バスケットシューズの開発を決めた。「選手の足の動きをよく見ろ」との助言により、暇があるとコート通いをして選手から希望を聞き、改良を重ねた。1951年夏、キュウリの酢の物にあったタコの足に目がとまり、タコの足の吸盤にヒントを得て全体を吸着盤のようにした凹型の底を考案し、鬼塚式バスケットシューズとして販売した。
「鬼塚なんて知らない」と言われるなか、シューズを担いで全国の競技大会の会場を営業して歩き、神戸高校バスケットボール部の優勝などもあって次第に売れ行きを伸ばした。ブランド名は、新鮮で印象に残り、スポーツシューズにふさわしい強さと敏捷性を表すものとして「虎印」とし、商標権はすでに他社に取得されていたため1957年に譲り受けた。鬼塚と組み合わせて「ONITUKA TIGER」の印を横につけ、虎の絵の下にTigerの文字を入れたマークを靴底につけた。
1956年にはメルボルンオリンピック日本選手団用のトレーニングシューズとして正式採用された。1964年東京オリンピックでは、オニツカの靴を履いた選手が体操、レスリング、バレーボール、マラソンなどの競技で金メダル20個、銀メダル16個、銅メダル10個の合計46個を獲得した。
経営の型:身近な題材から製品の仕組みを考え、地道な営業と大会の実績を積み重ねてブランドを育てる型。
1957年6月、裏帳簿を付けていたことが発覚し、税務署から約2000万円の追徴金を受けた。これを契機として公私の区別をつけることを肝に銘じ、同族企業からの脱却を決意したという。
1959年5月、創業者である自分の持ち株の7割を、全社員系列会社を含め398人に分けた。古参の社員には無償、新人社員には有償で分割払いを認めたという。
経営の型:不祥事をきっかけに、所有と経営を切り分ける仕組みを持ち株の分散という形で作り直す型。
| 1918年5月29日 | 生まれる |
|---|---|
| 1949年3月 | 個人事業の「鬼塚商会」を創業 |
| 1949年9月 | 資本金30万円・社員4人で「鬼塚株式会社」を設立し社長に就任 |
| 1951年夏 | タコの足の吸盤にヒントを得た凹型の底のシューズを鬼塚式バスケットシューズとして発売 |
| 1953年 | 空気を入れ替える構造のマラソンシューズを開発し特許を取得 |
| 1956年 | メルボルンオリンピック日本選手団用トレーニングシューズとして正式採用 |
| 1957年 | 虎印の商標権を譲り受ける |
| 1957年6月 | 裏帳簿の発覚により税務署から約2000万円の追徴金を受ける |
| 1959年5月 | 持ち株7割を社員ら398人に分割 |
| 1960年 | ローマオリンピックで裸足のアベベ・ビキラの優勝を見て衝撃を受ける |
| 1964年 | 前年からの株式上場。東京オリンピックでオニツカの靴を履いた選手が金メダル20個、銀メダル16個、銅メダル10個の合計46個を獲得 |
| 1965年 | 経営危機となり、協力企業80社に約束手形の期限繰延を依頼し承諾を得る |
| 1977年 | 株式会社ジィティオ、ジェレンク株式会社と合併し株式会社アシックスとなり社長に就任 |
| 1995年4月 | 経常赤字・無配転落の責任をとり代表権を返上 |
| 2007年9月29日 | 心不全のため死去 |
丙火 — 太陽のような存在。明るく情熱的で、周囲を照らし温める。公明正大で裏表がない。
| 年柱 | 月柱 | 日柱 | |
|---|---|---|---|
| 天干 | 戊 | 丁 | 丙 |
| 地支 | 午 | 巳 | 子 |
| 通変星 | 食神 | 劫財 | (日主) |
| 十二運 | 帝旺 | 建禄 | 胎 |
社交的で競争心が旺盛。仲間と共に成長する。
ここから先は四柱推命による解釈です。史実ではなく、命式の読み方の一例として書いています。
鬼塚喜八郎の日主は丙火(ひのえ)。太陽にたとえられる陽の火で、明るく情熱的、周囲を照らし温める性質を持つとされる。公明正大で裏表がない型でもある。命式に占める火の割合は五割に達し、日主も身強と出ている。自らの熱量で押し進める力が強い命式だと読める。
年柱の通変星は食神。おおらかで楽天的、食や芸術に縁がある福の星とされる。堀公平の助言を受けて靴づくりの道に入り、キュウリの酢の物にあったタコの足からヒントを得て鬼塚式バスケットシューズの底を考案した経緯は、身近なものに福を見出す食神の働きに重ねて読むことができる。
月柱の通変星は劫財。社交的で競争心が旺盛、仲間と共に成長する星とされる。松本幸雄や大阪大学の水野洋太郎教授ら専門家に相談を重ねて製品を磨き、オリンピックという競争の舞台で実績を積み上げていった歩みは、劫財の競争性に重ねて読む余地がある。
ただし、1957年の裏帳簿発覚を機に同族経営から離れ、持ち株を社員へ分けた判断は、命式だけで説明できるものではない。丙火の公明正大さに沿う選択だった、という読み方にとどめておく。
鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5月29日 - 2007年〈平成19年〉9月29日)は、日本の実業家で、アシックスの前身のひとつである鬼塚商会の創業者、アシックス社長。
生年月日は1918年5月29日です。
日主は丙・火・陽です。丙火 — 太陽のような存在。明るく情熱的で、周囲を照らし温める。公明正大で裏表がない。
誕生日は5月29日です。同じ誕生日の運勢は /birthday/05-29 で確認できます。
1949年3月に個人事業の「鬼塚商会」を始め、同年9月には資本金30万円、社員4人で「鬼塚株式会社」を設立して社長に就任しました。1977年には株式会社ジィティオ、ジェレンク株式会社と合併し、株式会社アシックスとなりました。
新鮮で印象に残り、スポーツシューズにふさわしい強さと敏捷性を表すものとして「虎印」をブランド名としました。商標権はすでに他社に取得されていたため、1957年に譲り受けています。鬼塚と組み合わせて「ONITUKA TIGER」の印とし、虎の絵の下にTigerの文字を入れたマークを靴底につけました。
1960年ローマオリンピックで、日本のマラソン代表選手にシューズを提供した鬼塚は、裸足のアベベ・ビキラが優勝したのを見て衝撃を受け、「アベベに靴を履かせたい」という意向を社員に示しました。翌1961年の毎日マラソンで来日したアベベに社員を接触させて好感触を得て、足形を取って靴を提供しましたが、のちにアベベはプーマと契約し、1964年東京オリンピックではプーマを履いて出場しました。
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