とはどんな人?相場の転換点と規制解禁を先読みして財を築いた投資家
| 生年月日 | 1888年9月6日 |
|---|---|
| 国籍 | アメリカ |
ジョセフ・パトリック・ケネディ・シニア(Joseph Patrick Kennedy Sr.、1888年9月6日 - 1969年11月18日)は、アメリカ合衆国の政治家・実業家、第35代大統領のジョン・F・ケネディの父である。「ジョー」は「ジョセフ」の短縮形。
1912年にハーバード大学を卒業すると、ジョーは父の伝で州の銀行検査官の職を得た。この仕事を通じて銀行業務の全容を把握するとともに、銀行と企業の内部情報を得ることができた。1913年、父パトリックが大株主だったコロンビア信託銀行が他銀行による乗っ取りの危機にあったとき、ジョーは親族や友人から資金を借りて他の株主が持つ株を買い取り、乗っ取りを防いだ。こうして1914年、ジョーは25歳で同行の頭取に選ばれた。
1919年には義父の紹介でボストンの老舗証券会社ヘイデン・ストーン社に職を得て、株式売買業務を学んだ。取引の多くは内部情報をもとにした自分に有利なもので、現代の基準では内部者取引や相場操縦にあたるとされる。他の出資者と投資グループをつくり、風説を流したり宣伝によって一般投資家を引きつけたりして株価を上げ、十分に上がったところで売り切るという手法も用いた。1929年の大暴落のときは、暴落を予期して直前にほとんどの株を売り払っていたため、被害を受けなかった。
経営の型:内部にいたからこそ得られる情報と人脈を使い、相場の転換点を先んじてつかむ。
1920年代後半、ジョーは株式取引で得た資産を、当時の新興業界だった映画産業に投資し始めた。まず経営困難に陥っていた映画会社FBO(Film Booking Offices of America)を150万ドルで買収し、1926年にはハリウッドに移って本格的に運営に乗り出した。さらに映画館チェーンのKAO(Keith-Albee-Orpheum Theaters Corporation)を買い取り、パテ・エクスチェンジ社の顧問にも就任した。1928年10月、ジョーは自らの持つFBOとKAOを合併させ、新たにRKO(Radio-Keith-Orpheum)を発足させた。
買収の手法には強引なものもあった。映画館チェーンのパンテイジス社を買収しようと持ちかけたが断られた直後の1929年8月、経営者のアレクサンダー・パンテイジスがユーニス・プリングルという女性を強姦しようとしたとして訴えられた。パンテイジスは最終的に無罪となったが社会的信用を失い、会社は結局ジョーのものになった。プリングルは死の床で、すべてはジョーに指示されてやった狂言だったと証言したという。
ジョーは女優グロリア・スワンソンの主演映画の製作にも乗り出し、『クイーン・ケリー』(1929年)を手がけたが、製作費60万ドルを投じて途中で頓挫した。大作映画のプロデューサーとして名を残すという目論見は終わり、ジョーはハリウッド・ビジネスから手を引いた。
経営の型:既存の小さな会社を買収・統合して業界の形を作り替える。うまくいかない事業からは早く手を引く。
1933年に禁酒法が廃止されると、ジョーはただちにサマセット社(Somerset Importers)という会社を設立し、酒類の輸入に乗り出した。パートナーはルーズベルト大統領の息子ジェームズ・ルーズベルトである。ジンと高価なスコッチの大量輸入で販売網を独占し、再び大もうけした。
この儲けをジョーはレストランやビルといった不動産に投資していった。もっとも有名な物件は1945年に買い取った、建設当時世界最大のビルだったシカゴのマーチャンダイズ・マート(Merchandise Mart)ビルであり、同ビルはケネディ家のシカゴでの拠点となった。
経営の型:規制の変化を先読みし、解禁と同時に市場に入る。得た利益はより資産性の高いものへ移していく。
| 1888年9月6日 | ボストンに生まれる |
|---|---|
| 1912年 | ハーバード大学を卒業し、父の伝で州の銀行検査官の職を得る |
| 1913年 | コロンビア信託銀行の株を買い取り、他銀行による乗っ取りを防ぐ |
| 1914年 | 25歳でコロンビア信託銀行頭取に選ばれる |
| 1917年 | ベスレヘム・スチール社造船部門の支配人補佐となり、フランクリン・ルーズベルトと知り合う |
| 1919年 | ヘイデン・ストーン社に職を得て株式売買業務を学ぶ |
| 1926年 | ハリウッドに移り、買収した映画会社FBOの運営に乗り出す |
| 1928年10月 | FBOとKAOを合併させRKO(Radio-Keith-Orpheum)を発足させる |
| 1929年 | 大暴落を予期して直前に株を売り払い、被害を免れる |
| 1933年 | 禁酒法廃止に伴いサマセット社を設立し、酒類輸入を独占 |
| 1934年7月 | 初代証券取引委員会(SEC)委員長に任命される |
| 1938年3月1日 | 在英国アメリカ合衆国大使としてイギリスに着任 |
| 1940年11月 | ボストン・グローブ紙への発言が国民的批判を招き、大使を辞任 |
| 1945年 | シカゴのマーチャンダイズ・マートビルを買い取る |
| 1969年11月18日 | 死去(81歳) |
庚金 — 刀剣のような存在。正義感が強く、決断力がある。鋭い判断力と行動力の持ち主。
| 年柱 | 月柱 | 日柱 | |
|---|---|---|---|
| 天干 | 戊 | 辛 | 庚 |
| 地支 | 子 | 酉 | 辰 |
| 通変星 | 偏印 | 劫財 | (日主) |
| 十二運 | 死 | 帝旺 | 養 |
社交的で競争心が旺盛。仲間と共に成長する。
ここから先は四柱推命による解釈です。史実ではなく、命式の読み方の一例として書いています。
ジョセフ・P・ケネディの日主は庚金(かのえ)。刀剣にたとえられる干で、正義感が強く決断力があり、鋭い判断力と行動力を併せ持つとされる。身強で、自らの力で押し切っていく型である。
月柱の通変星は劫財。社交的で競争心が旺盛で、仲間と共に成長する星とされる。ケネディはヘイデン・ストーン社で株式売買を学び、他の出資者と投資グループを組んで株価を動かし、自ら資金を集めて株を買い取り銀行の頭取となり、ルーズベルトとの思惑の一致から大使の職も得ていった。人と組み、競い合いながら資産と地位を広げていった歩みは、劫財の性質に重ねて読むこともできる。
年柱の通変星は偏印。独創的な知恵と個性を示し、学問・研究に向くとされる星である。禁酒法廃止を見越したサマセット社の設立や、複数の映画会社を買収・合併してRKOを発足させた動きなど、既存の枠にとらわれない発想で機をとらえた判断は、偏印の読みと結びつけて捉える見方もできる。
庚金の鋭さと身強の押しの強さは、1929年の大暴落前に株を売り払って被害を免れた判断とも響き合う型として読める。ただし、これらはあくまで命式からの解釈であり、史実そのものを説明するものではない。
株式市場や不動産、映画産業への投資で莫大な財産を築いたアメリカの実業家です。第35代大統領ジョン・F・ケネディの父でもあります。1934年に初代証券取引委員会委員長、1938年に在イギリスアメリカ合衆国大使を務めました。
生年月日は1888年9月6日です。
日主は庚・金・陽です。庚金 — 刀剣のような存在。正義感が強く、決断力がある。鋭い判断力と行動力の持ち主。
誕生日は9月6日です。同じ誕生日の運勢は /birthday/09-06 で確認できます。
1933年に禁酒法が廃止された直後にジョセフ・P・ケネディが設立した酒類輸入会社です。ジンと高価なスコッチの輸入で販売網を独占し、大きな利益を得ました。パートナーはルーズベルト大統領の息子ジェームズ・ルーズベルトでした。
在英国大使だった1940年11月、ボストン・グローブ紙のインタビューで「民主主義はイギリスでは死んだ。アメリカにはまだあるかもしれない」と発言したことが国民的批判を招きました。これが決定打となり、同月に大使を辞任し、以後は表舞台に出ずに息子たちの政界進出を後ろから支えました。
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