とはどんな人?正直商法とプロパン普及で信頼を築いた経営
| 読み | いわたに なおじ |
|---|---|
| 生年月日 | 1903年3月7日 |
| 職業 | 経営者 |
| 国籍 | 日本 |
岩谷 直治(いわたに なおじ、1903年3月7日 - 2005年7月19日)は、日本の実業家。LPガスと産業ガスを基幹事業とし、機械、マテリアルなど幅広い分野で事業を展開する商社、岩谷産業株式会社の創業者。
1930年5月5日、直治は酸素、溶接材料、カーバイドを扱う「岩谷直治商店」を大阪市港区に妻と二人だけで創業した。鉄工所や船舶解体業者、メッキ工場からの注文をリヤカーに積んで一日に何度も納品し、妻も乳母車にカーバイドと子供を乗せて配達した。開業当初、「大阪という所は商売の駆け引きが強いからあなたのような正直者には難しい地ですよ」とアドバイスされたが、直治は薄利多売と正直商法を貫いた。
カーバイドは水力発電の余剰電力で製造されるため、電力事情で値段が左右される。降雪・降雨量が少なく電力が低下して品薄になることを予測した直治は、売り惜しみをせず「必ず値上がりしますから今のうちに買えばお得ですよ」と客に勧めて歩いた。当初は信用されなかったが実際にそうなったため喜ばれ、「岩谷の正直商法」と評され信頼が広がっていった。
経営の型:有利な情報を独り占めせず先に客へ伝えることが、遠回りに見えて信用と商いの広がりを生む。
1952年、直治は高圧ガス協会の総会講演で、イタリアではガスを液化してボンベに詰めて売っていることを知った。「母親が台所で働く姿を思い出し、主婦をかまどの煤・煙から解放できる。これこそ自分のやるべきものだ」とひらめき、手早く調査と情報収集を指示して事業化を目指した。
産業ガス・溶材事業で経営は成り立っており反対意見も出たが、直治は50歳にして不退転の決意でプロパンガス事業に着手した。1953年にプロパン販売の許可を取得し、マルヰプロパンガスと名付けて日本で初めて全国規模のプロパンガス販売に進出した。「ガスを切らさない。安全にお届けする」を基本方針に掲げ、貯蔵基地・充てん工場を全国各地に設置し、タンカーとローリー車・専用貨車による供給網を広げた。
経営の型:既存事業が順調でも、生活の不便を解消できる見込みがあれば、年齢や社内の反対を理由に踏み出すことを止めない。
1941年ごろ、水素を使う溶接機が輸入され市販用の水素需要が生まれたが、当時は硬化油脂製造工場などで自家使用する以外の水素は大気中に捨てられていた。直治は「もったいない」と着目し、工場で出る余剰水素を引き取って販売を始めた。
家電製品の製造などで水素の消費量が急増したのを機に、「今のうちに事業化への道をつけておく。自分がやらなければ誰がやるのだ」と、1958年に大阪水素工業株式会社を設立した。「究極のクリーンエネルギーは水素である」と語っていた直治は、1978年にわが国初の大型商用液化水素製造プラントを稼働させた。
経営の型:他社がまだ価値を見出していない廃棄物や余剰資源に着目し、需要が顕在化する前から事業化の準備を進める。
| 1903年3月7日 | 生まれる(島根県安濃郡長久村、現・大田市) |
|---|---|
| 1930年5月5日 | 酸素・溶接材料・カーバイドを扱う「岩谷直治商店」を大阪市港区に創業 |
| 1939年 | 「金生海運商会」を設立、中国大陸との海運業を開始 |
| 1941年 | 上海に「金生洋行会社」を設立 |
| 1945年2月2日 | 「岩谷直治商店」を改組し「岩谷産業株式会社」を設立、代表取締役社長に就任 |
| 1945年3月18日 | 大阪大空襲で本社が焼失、中国からの撤退を決意 |
| 1952年 | 高圧ガス協会の講演でプロパンガス事業を着想 |
| 1953年 | プロパン販売の許可を取得、マルヰプロパンガスとして日本初の全国規模プロパンガス販売を開始 |
| 1958年 | 大阪水素工業株式会社を設立 |
| 1969年 | 家庭用ガス警報器「みはり」を開発 |
| 1969年12月 | ホースの要らない卓上こんろ「カセットフー」を発売 |
| 1970年 | 創業40周年、企業スローガン「住みよい地球がイワタニの願いです」を掲げる |
| 1973年 | 自己資金約30億円で「公益財団法人岩谷直治記念財団」を設立 |
| 1978年 | わが国初の大型商用液化水素製造プラントを稼働 |
| 2005年7月19日 | 死去(満102歳) |
甲木 — 大木のような存在。まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質。向上心が強く、曲がったことが嫌い。
| 年柱 | 月柱 | 日柱 | |
|---|---|---|---|
| 天干 | 癸 | 乙 | 甲 |
| 地支 | 卯 | 卯 | 午 |
| 通変星 | 印綬 | 劫財 | (日主) |
| 十二運 | 帝旺 | 帝旺 | 死 |
社交的で競争心が旺盛。仲間と共に成長する。
ここから先は四柱推命による解釈です。史実ではなく、命式の読み方の一例として書いています。
岩谷直治の日主は甲木(きのえ)。大木にたとえられる干で、まっすぐに空へ伸びる成長への意欲と、曲がったことを嫌う実直さを併せ持つとされる。強弱は身強で、自ら道を切り開く力が強い型である。
直治が1930年、酸素や溶接材料を扱う「岩谷直治商店」を妻と二人だけで創業し、薄利多売と正直商法を貫いた姿は、この甲木の実直さと重ねて読むことができる。大阪の商売は駆け引きが強いと助言されながらも、駆け引きに寄らなかった経営は、まっすぐに伸びようとする大木の性質に沿う読み方ができる。
年柱の通変星は印綬。学問を好み思慮深く、慈愛に満ちた人格者を示すとされる星である。父から「謙虚でおれ、謙虚にしていれば人は教えてくれる」と言い聞かされて育ち、生涯にわたり「我以外皆師」を実践した姿勢は、印綬の性質と結び付けて語ることができる。
月柱の通変星は劫財。社交的で競争心が旺盛、仲間と共に成長する型とされる。反対意見が出る中で50歳にしてプロパンガス事業に不退転の決意で着手し、産業ガス・溶材事業に加えて新たな市場を切り開いた判断は、この競争心と結び付けて読むことも可能である。
ただし、これらはあくまで命式からの読み方であり、直治自身が命式を見て経営判断をしたわけではない。
岩谷直治は、LPガスと産業ガスを基幹事業とする商社、岩谷産業株式会社の創業者です。1953年に家庭用プロパンガスを日本で初めて全国規模で発売し、「プロパンの父」と呼ばれました。水素エネルギー事業にも他社に先駆けて着手しています。
生年月日は1903年3月7日です。
日主は甲・木・陽です。甲木 — 大木のような存在。まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質。向上心が強く、曲がったことが嫌い。
誕生日は3月7日です。同じ誕生日の運勢は /birthday/03-07 で確認できます。
1930年5月5日、岩谷直治が酸素や溶接材料、カーバイドを扱う「岩谷直治商店」を大阪市港区に妻と二人だけで創業したのが始まりです。1945年2月2日に株式会社へ改組し、「岩谷産業株式会社」として代表取締役社長に就任しました。
1952年、高圧ガス協会の講演でイタリアのガス液化販売を知った岩谷直治は、主婦をかまどの煤や煙から解放できると着想し、50歳でプロパンガス事業に着手しました。1953年にマルヰプロパンガスとして日本初の全国規模のプロパンガス販売を始め、普及に努めた功績からこう呼ばれています。
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