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逸見稔

とはどんな人?編集権を譲らず、水戸黄門など大ヒット番組を生んだ経営

生年月日: 1933年4月1日 経営者 日本 昭和

逸見稔の基本情報

読みへんみ みのる
生年月日1933年4月1日
職業経営者
国籍日本

逸見稔とはどんな人?何をした人?

逸見 稔(へんみ みのる、1933年4月1日 - 1995年12月9日)は、日本のテレビプロデューサー、オフィス・ヘンミ創業者。神奈川県出身。

逸見稔の経営判断

宣伝事業部長を最後に独立した

慶應義塾大学法学部を卒業すると同時に松下電器産業に入社し、東京宣伝部に配属された。初仕事はCMソング「明るいナショナル」の担当だった。やがてドラマを任されるようになり、スポンサー側プロデューサーという立場の「クライアントプロデューサー」としてテレビ番組作りに参加し、青春ドラマのはしり『青年の樹』、ホームドラマのはしり『七人の孫』(森繁久彌主演)、クイズ番組のはしり『ズバリ!当てましょう』(フジテレビ)等を制作した。

1980年、宣伝事業部長を最後に松下電器から独立し、制作プロダクション「オフィス・ヘンミ」を設立した。テレビ番組(特にドラマ)、CMの企画・製作に携わった。

経営の型:会社員としての持ち場で信頼と実績を積み、それを足がかりに独立した組織を興す。

「編集権」にこだわった番組作り

ドラマ作りにおいて逸見は「プロデューサーには編集権がある」というスタンスを貫き、脚本改稿、シーンの撮り直しや編集のやり直しを納得がいくまで要求した。これは「子供からお年寄りまで誰もがわかり易く楽しく見ることができる」という視聴率戦略に基づくものだった。

1966年に開始したNETテレビのナショナルゴールデン劇場では、時代劇、サスペンス、現代劇、フルーツ・シリーズ等ジャンルにとらわれない多数の作品を手がけ、『だいこんの花』が大ヒットした。その傍ら1969年にTBSのナショナル劇場で『水戸黄門』をスタートし、同放送枠で『大岡越前』、『江戸を斬る』を続けて企画制作し、いずれも大ヒットしシリーズ化された。映像プロデューサーとしては、逸見を中心とした創作集団「葉村彰子」を結成し、高名な脚本家や映画監督を起用して視聴率の高いドラマ作りに寄与した。

経営の型:編集の最終判断を手放さず、分かりやすさという一つの基準で番組の質を管理する。

人脈と人材育成で事業を広げた

逸見は数々の役者をスターにのし上げ、「テレビ界の名伯楽」とも呼ばれた。葬儀委員長を務めた森繁久彌は弔辞で「あなたのもとで沢山の人が育ちました。私もその一人です。」と語りかけた。

逸見が作った人脈の広さから、オフィス・ヘンミは加山雄三等のタレントのディナーショーからドラマ制作まで手がけるプロダクションとして知られている。弟の逸見勉はオフィス・ヘンミの2代目代表取締役社長を務めた。

経営の型:一代で築いた人材と人脈を会社の資産とし、経営は身内に引き継ぐ。

逸見稔の略年譜

1933年4月1日生まれる
1961年青春ドラマのはしり『青年の樹』の制作に参加(1961年-1962年放送)
1964年ホームドラマのはしり『七人の孫』(森繁久彌主演)の制作に参加(1964年-1966年放送)
1966年NETテレビ「ナショナルゴールデン劇場」開始
1969年TBS「ナショナル劇場」で『水戸黄門』の企画・制作を開始
1970年『だいこんの花』(1970年-1977年)が大ヒット
1970年同放送枠で『大岡越前』の企画・制作を開始
1973年同放送枠で『江戸を斬る』の企画・制作を開始
1980年宣伝事業部長を最後に松下電器から独立し、制作プロダクション「オフィス・ヘンミ」を設立
1993年11月著書『黄門様はテレビ好き』(近代映画社)刊行
1995年12月9日心筋梗塞のため死去(満62歳)

逸見稔の性格を四柱推命で読む(命式)

日主丁(火・陰) - 身強

丁火 — 灯火のような存在。繊細で知的、内に秘めた情熱を持つ。人の心の機微を読む洞察力。

年柱月柱日柱
天干癸丙丁
地支酉辰酉
通変星偏官劫財(日主)
十二運長生衰長生
月柱通変星劫財(競争・社交)

社交的で競争心が旺盛。仲間と共に成長する。

五行バランス

木
9%
火
36%
土
9%
金
18%
水
27%

命式から読む逸見稔の経営判断

ここから先は四柱推命による解釈です。史実ではなく、命式の読み方の一例として書いています。

逸見稔の日主は丁火(ひのと)。灯火にたとえられる干で、繊細で知的、内に秘めた情熱を持ち、人の心の機微を読む洞察力があるとされる。身強で、自らの意志で道を切り開く型である。

年柱の通変星は偏官で、行動力と決断力を示し、既存の枠を壊し変革をもたらす性質を持つとされる。1980年、逸見は宣伝事業部長を最後に松下電器から独立し、制作プロダクション「オフィス・ヘンミ」を設立した。組織にとどまらず自ら独立の道を選んだ判断は、この通変星の読み方と重なる。もちろん本人が命式を見て独立を決めたわけではないが、命式を先に見た人間なら、この人が組織を離れて自分の会社を興すことは腑に落ちる、という読み方になる。

月柱の通変星は劫財で、社交的で競争心が旺盛、仲間と共に成長する性質を示すとされる。逸見は自らを中心とした創作集団「葉村彰子」を結成し、高名な脚本家や映画監督を起用してドラマ作りに取り組んだ。数々の役者をスターに育て「テレビ界の名伯楽」と呼ばれたことも、人を集め仲間として共に育つ劫財の型に沿っていると読める。

丁火の、人の心の機微を読む洞察力は、「子供からお年寄りまで誰もがわかり易く楽しく見ることができる」という視聴率戦略にも通じる読み方ができる。

逸見稔に関するよくある質問

逸見稔は何をした人?

逸見稔は日本のテレビプロデューサーで、独立系制作プロダクション「オフィス・ヘンミ」の創業者です。松下電器産業に入社後、『水戸黄門』『大岡越前』『江戸を斬る』などのテレビシリーズを手がけ、いずれも大ヒットしました。数々の役者をスターに育てたことから「テレビ界の名伯楽」とも呼ばれました。

逸見稔の生年月日・命日は?

生年月日は1933年4月1日です。

逸見稔の性格は?(四柱推命)

日主は丁・火・陰です。丁火 — 灯火のような存在。繊細で知的、内に秘めた情熱を持つ。人の心の機微を読む洞察力。

逸見稔の誕生日は何月何日?

誕生日は4月1日です。同じ誕生日の運勢は /birthday/04-01 で確認できます。

オフィス・ヘンミはいつ、どのように設立された?

1980年、逸見は宣伝事業部長を最後に松下電器から独立し、制作プロダクション「オフィス・ヘンミ」を設立しました。テレビ番組、特にドラマとCMの企画・製作を手がけました。

『水戸黄門』はどのように始まった?

1969年、逸見はTBSのナショナル劇場で『水戸黄門』の企画・制作を開始しました。同じ放送枠で『大岡越前』『江戸を斬る』も続けて手がけ、いずれもシリーズ化される大ヒットとなりました。

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