Shibusawa Eiichi
とはどんな人?約500社を作り、財閥を作らなかった実業家
渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、、1840年3月16日〈天保11年2月13日〉- 1931年〈昭和6年〉11月11日)は、日本の実業家・篤志家、政治家。武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)位階勲等爵位は正二位勲一等子爵。雅号は青淵(せいえん)。
| 本名/英語名 | Shibusawa Eiichi |
|---|---|
| 読み | しぶさわ えいいち |
| 生年月日 | 1840年3月16日 |
| 没年月日 | 1931年11月11日 |
| 享年 | 91歳 |
| 職業 | 第一国立銀行創立者・実業家 |
| 国籍 | 日本 |
渋沢が関わった企業はおよそ500社にのぼる。1873年に第一国立銀行(現みずほ銀行)、1878年に東京株式取引所と東京商法会議所(現東京商工会議所)を設立した。
その後も1892年に東京貯蓄銀行(現りそな銀行)、1896年に日本勧業銀行、1900年に日本興業銀行が続く。鉄道は45社に及び、保険、製紙、電力、ガス、ビール、セメントと業種は多岐にわたった。
個別の事業ではなく、資金が回る仕組みと商人が集まる場を先に作った点が特徴である。
経営の型:自社を大きくする前に、産業全体が機能するための土台を作る。銀行と取引所は他社のための設備である。
1916年(大正5年)、渋沢は『論語と算盤』を著した。「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と説いている。
倫理(論語)と利益(算盤)を対立させず両立させる。利益を独占するのではなく、国全体を豊かにするために富は全体で共有し社会へ還元するものとした。
同書には「余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである」という一節もある。
経営の型:道徳を利益の制約としてではなく、利益が長続きする条件として扱う。
渋沢が掲げた合本主義とは、公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方である。株式会社制度と重なるが、渋沢は私益ではなくより良い社会の実現のために人と資本を合わせることを説いた。
実際、渋沢の持株比率は渋沢倉庫の26%を除けば第一銀行が3%程度で、財閥と呼べる規模ではなかった。「渋沢財閥」という呼称は、一族の財産争いを避けるため1915年に設立した渋沢同族株式会社を、戦後にGHQが誤って財閥指定したことに由来する。
社会事業にも深く関わった。1874年から養育院に携わり、1875年に商法講習所(現一橋大学)の経営委員、1908年に中央慈善協会の初代会長を務めている。
経営の型:支配権を持たずに事業を興す。集めるのは株式ではなく、目的に合う人と資本である。
| 1840年3月16日 | 生まれる(天保11年2月13日) |
|---|---|
| 1873年 | 第一国立銀行(現みずほ銀行)を設立 |
| 1874年 | 養育院に携わる |
| 1875年 | 商法講習所(現一橋大学)の経営委員に就任 |
| 1878年 | 東京株式取引所・東京商法会議所を設立 |
| 1892年 | 東京貯蓄銀行を設立 |
| 1900年 | 日本興業銀行の設立に関与 |
| 1908年 | 中央慈善協会の初代会長に就任 |
| 1915年 | 渋沢同族株式会社を設立 |
| 1916年 | 『論語と算盤』を刊行 |
| 1931年11月11日 | 死去(91歳) |
甲木 — 大木のような存在。まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質。向上心が強く、曲がったことが嫌い。
| 年柱 | 月柱 | 日柱 | |
|---|---|---|---|
| 天干 | 庚 | 己 | 甲 |
| 地支 | 子 | 卯 | 戌 |
| 通変星 | 偏官 | 正財 | (日主) |
| 十二運 | 沐浴 | 帝旺 | 養 |
堅実で計画的。コツコツ財を成す。誠実な人柄。
ここから先は四柱推命による解釈です。史実ではなく、命式の読み方の一例として書いています。
渋沢栄一の日主は甲木(きのえ)。大木にたとえられる干で、まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質、曲がったことが嫌いとされる。身弱で、自分一人で立つより、林として育つ型である。
甲木の「曲がったことが嫌い」を、渋沢の生涯で最も分かりやすく体現しているのが、財閥を作らなかったという事実である。約500社の設立に関わりながら、持株比率は渋沢倉庫の26%を除けば数パーセント程度にすぎなかった。支配できる立場にいて、支配しなかった。1916年の『論語と算盤』で「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と書いたのは、甲木の正直さを経済の言葉に翻訳したものと読める。
年柱は偏官。行動力と決断力を示し、既存の枠を壊して変革をもたらす星とされる。第一国立銀行(1873年)、東京株式取引所(1878年)、東京商法会議所(1878年)。渋沢が作ったのは自社ではなく、日本に存在しなかった制度そのものだった。偏官の「枠を壊す」が、破壊ではなく新設の形で出た例といえる。
月柱は正財。堅実で計画的、こつこつ蓄えることを示す。偏官と正財が同居する命式は、壊す力と積む力を両方持つ読みになる。『論語と算盤』という書名は、この二つの星が同じ人の中にあることを、渋沢自身の言葉で言い当てたものと見ることもできる。
身弱であることも、合本主義と噛み合う。公益のために人と資本を集めるという考え方は、自分一人の力で立たない人間の発想である。大木は一本では林にならない。
第一国立銀行や東京株式取引所など、約500社の設立・経営に関わった実業家。1916年に『論語と算盤』を著し、道徳と利益は両立するという道徳経済合一説を説いた。私益ではなく公益のために人と資本を集める「合本主義」を掲げ、財閥を作らなかった。
Shibusawa Eiichi(読み:しぶさわ えいいち)
生年月日は1840年3月16日です。命日は1931年11月11日です(享年91)。
日主は甲・木・陽です。甲木 — 大木のような存在。まっすぐで正直、成長を求めるリーダー気質。向上心が強く、曲がったことが嫌い。
誕生日は3月16日です。同じ誕生日の運勢は /birthday/03-16 で確認できます。
およそ500社の設立・経営に関わったとされます。第一国立銀行(1873年)、東京株式取引所(1878年)、東京商法会議所(1878年)などが代表例です。
1916年に渋沢が著した書で、倫理(論語)と利益(算盤)は両立するという道徳経済合一説を説いています。「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」という一節が知られます。
私益ではなく公益のために人と資本を集める「合本主義」を掲げていたためです。実際の持株比率は渋沢倉庫の26%を除けば数パーセント程度で、財閥と呼べる規模ではありませんでした。
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