レオンハルト・オイラーの生涯年表
スイス出身の数学者です。
確認済み25件を先行掲載しています。
幼少期(0〜9歳)
- 1707-04-15 バーゼルで生まれる
- 年月不明 幼少期をリーエンで過ごし、父から数学の基礎を学ぶ。
- 1713 バーゼルのギムナジウム(中等教育の学校)に通う。
10代
- 年月不明 バーゼルでの通学中は母方の祖母の家に住み、数学を独学し、個人指導も受ける。
- 年月不明 1726年までに、抵抗のある媒質中の等時曲線を扱う短い論文が刊行されている。
- 1720 バーゼル大学に進む
- 1723 哲学の修士号を取得する。
- 1723 哲学の修士号取得後、神学の学習を始める。
- 1726 バーゼル大学での学業を終える。
- 1726-11 ロシアの研究職の申し出を受諾する。
20代
- 1727 ロシア海軍で医務担当の士官として勤務する。
- 1727 船のマスト配置を扱う論考で、パリ科学アカデミーの懸賞論文の第2位となる。
- 1727-05-17(出典表記、暦法未確認) サンクトペテルブルクに到着する
- 1733 数学教授となる
- 1734-01-07(出典表記、暦法未確認) カタリーナと結婚する
- 1736 力学書『Mechanica』を刊行する
30代
- 1741-07-25 ベルリンに到着する
40代
- 1748 『無限解析入門』を刊行する
- 1755 微分学の教科書を刊行する
50代
- 1766 サンクトペテルブルクへ戻る
60代
- 1770 代数学の教科書を刊行する
- 1772 月の運動を扱う著作を刊行する
- 1773 妻カタリーナが亡くなる。
- 1776 サロメーア・アビゲイル・グゼルと再婚する。
70代
- 1783-09-18(出典表記、暦法未確認) サンクトペテルブルクで死去する
年代区分は出生年との差による目安です。
年のみの記録から正確な満年齢は確定していません。
暦法未確認の日付は出典表記を示し、グレゴリオ暦への換算はしていません。
家族構成
- 父:Paul Euler
- 母:Margaret Brucker
- 配偶者:Katharina Gsell
- 子:Johann Albrecht Euler
- 子:Christoph Euler
- 配偶者:Salome Abigail Gsell
- 義父:Georg Gsell
最初の妻との間に13人の子が生まれました。
すべての子の氏名と生没日は、今回確認した資料だけでは不明です。
出典
University of St Andrews:Leonhard Euler (1707 - 1783) - Biography - MacTutor History of Mathematics
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金沢工業大学ライブラリーセンター:工学の曙文庫 世界を変えた書物 金沢工業大学ライブラリーセンター
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Historisches Lexikon der Schweiz / SAGW:Euler, Leonhard | Historisches Lexikon der Schweiz
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Universität Würzburg, Institut für Mathematik:Leonhard Euler: Lebenslauf
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